2012年3月20日火曜日

三国志について質問です。 呂布 奉先は ずば抜けて強かったのですか?呂布は、悪役...

三国志について質問です。

呂布 奉先は ずば抜けて強かったのですか?呂布は、悪役として描かれてたのですが本当ですか?呂布が活躍した戦を教えてください。それから呂布が治めていた地は、最

高でどのくらいの地を治めていたのでしょうか?それとも地には、興味がなく金や馬、女に目がくらむ軽い人物だったのですか?呂布は国を治める器があったのか?わたしは呂布は英雄かと思っていました。皆さまは、どうですか?







su_ru123456さんの書かれているのは明初(14世紀末?)の小説『三国志演義』での呂布像ですね。貂蝉が死ぬあたり、日本の吉川英治氏がアレンジした小説『三国志』でしょうか?それにしては貂蝉の死亡時期がおかしいですが…(^_^;



呂布は字を奉先といい、并州太原郡の出身です。最初は并州刺史(荊州ではありません)の丁原に仕え、後に董卓に引き抜かれました(丁原を殺しますが養子ではありません)。

董卓の護衛として仕え、董卓は自分を親と呼ばせますが、董卓の侍女と親密になり、また些細な事で殺されかけて、遂に王允の誘いに乗り董卓を殺します。

長安市街で董卓配下の諸将との戦いに敗れて袁術・袁紹と頼りますがいずれも受け入れられず、曹操の本拠地を奪って自立しますが激戦の末に敗北し、徐州の劉備を頼りますが裏切って徐州を乗っ取ります。しかし劉備の要請を受けた曹操に水攻めを受け、最期は配下の裏切りにより捕らえられ絞首刑となって死にました。



軍事、ことに騎兵を率いたならば三國時代でも屈指の猛将です。また個人的武勇もほぼ負けなしの無類の強さを誇ります。

ただし大局的な視野に欠け、目先の利益を追い、配下の進言にほとんど耳を貸そうとしませんでした。人の上に立つ君主の度量も才能も不足していたと言わざるをえませんね。



為政者としての能力は未知数ですが、固有の領土を保持出来なかった事から考えても向いているとは言い難いでしょう。ただし、エン州や徐州など、一時的とはいえ一州を支配するだけの力はありました。



以上の事から、基本的に呂布は軍司令官であり、政治家でも聖人君子でもありませんでした。また目先の利益で味方や主君を裏切り、協調性に欠けるためどうしても評価は低くなります。

ただし、その武勇と軍才は張遼・高順・成廉など多くの勇将を惹き付けた事も事実ですね。








呂布を簡単にまとめます。



親を二度変えた。二度目は養子でていげんというひと。けいしゅうという三国志で魏呉蜀が取り合う小さな重要地点の領主です。

とうたくが漢をのっとる。ていげんととうたくが戦う。とうたく有利になるが呂布が出るたびにとうたくが敗北。とうたくは悩んだ。とうたくの手下が呂布に天下で数頭しかいない名馬のせきとばと金銀をあげれば呂布はとうたくサイドにつくと交渉。後日、とうたくとていげんが戦争したとたん、義理の親であるていげんを瞬殺。呂布はとうたくの家臣へ。

とうたくの暴政がはじまる。曹操や劉備などの後々に英雄になる人材が反とうたく連合結成。同じ時期にとうたく暗殺未遂。呂布が暗殺者を瞬殺。そして、虎牢関の戦いでとうたく敗北、

このとき、えんしょうの部下を一騎打ちで瞬殺。そこで軍神関羽(当時無名)と一騎打ち、張飛も参戦、そして劉備も。。。

3対1は流石の呂布もたまらない。呂布撤退。

飛将呂布が無名に負けたために評判がた落ち。とうたくは帝をつれて遷都。呂布はとうたくと一緒に長安へ。

長安でとうたくの妻ちょうせんに恋をする。ちょうせんを浚い、とうたくと不仲になる。

この間に妻のちょうせん死亡。ちょうせんはとうたくと呂布を不仲にするためにつれてこられた女であった。日に日に不仲になる呂布ととうたく。ある日呂布はとうたく暗殺の誘いをうける。とうたくが暗殺者に刺される。呂布がとうたくに止めを。。。。

とうたくの部下が激怒。呂布を攻撃する。呂布の都落ち(領土消失)。

このころ曹操が急成長しはじめる。しかし、陳留太守の張邈と曹操の中が悪くなってきた。傭兵として呂布を迎え入れる張邈。

曹操対呂布。はじめは曹操が負けるが罠で呂布軍団壊滅し、逆転勝利。呂布再びさまようはめに。。。

このあと劉備を頼る呂布。劉備と義兄弟になったが、野心を抑えられず謀反。劉備をおいだし領土をのっとる。

後日、曹操と劉備の連合軍対呂布。呂布のしろはどんどん陥落。

しかし、呂布がいるかひだけは陥落しない。曹操軍のじょこうを一騎打ちで撃退。張飛も撃退されるが、かひの城は包囲される。呂布が一度城を出れば単独で100人切。城は落ちない。悩んだ曹操は部下の作戦を採用。

その作戦は呂布の部下である侯成・宋憲・魏続裏切らせ、かひの城を水攻め(城の中でボートを使うほど)

ある日戦いに疲れた呂布が寝ている間に侯成・宋憲・魏続が襲う。せきとばを隠し、呂布の愛用武器奉天戟を没収。

呂布は捕虜に。。。。呂布は曹操に提案する。「おれの騎馬隊と武力があれば早々の天下統一に役立つぞ」

悩む曹操。そこで劉備が「呂布は二度も親を変えるやつですよ?」(信用できん)

曹操は呂布を絞首刑にした。

呂布のせきとばは関羽の物に。。。



以上が簡単な呂布の一生です。

彼に国は治められません。自分の武力だけしか頼らないんで戦争ばっかです。そして、部下からの評判は悪いです。

戦略もありません。全部突撃と一騎打ちです。

でも、ちょうせんを愛していたらしく、死んだちょうせんの次のお嫁さんにちょうせんという名前をつけました。

また、娘にあまかったりしいです。(戦後呂布一族は死刑。)

一騎打ちだけは歴史に残る勝率だと思います。







相当強い武将だったみたいですよ。ただ、強くても裏切りをしたりで国を治める器ではなかったらしいです。

詳しくは、以下を参照下さい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E5%B8%83

http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9481/3/ryofu.htm

0 件のコメント:

コメントを投稿