三国志ファンの方にお聞きします。
三国志の正史と演義を見比べるなかで見えてくるものは何ですか?
三国志という作品を見ていくなかでこれがおもしろいと思うことはどんなことですか?
あなたにとって三国志とは何ですか?
あなたが三国志から教えられたことがあるとすればそれはどんなことですか?
以上の中からどれか一つでも結構です。ご意見お聞かせください。よろしくお願いします。
私も三國志に興味をもつ人間の一人です。小学生の頃、父親が読んでいた横山光輝さんの三國志を読みましたね。高校で陳瞬臣さんの『秘本三國志』、筑摩の正史の訳本を読んだところで、三國志はもういいかな~と思いました。よく三國志を肇頭に、歴史にロマンを求めたりする人がいますが、身近でしょっちゅう戦争のあった時代のどこがいいんですかね?と最近思うんです。私はそんな時代には生まれたくないです。歴史をかじっていると、先人たちの苦労(中には滅茶苦茶もありますが)を思わずにはいられません。
諸葛亮は赤壁の戦いの時、風向きが変わることを知っていました。気象に非常に長けていたという演義での設定です。
しかし晩年、ライバル司馬懿を断崖に囲まれた谷に追い詰め火を放ちながら、大雨によって火が消え仕留め損なうという
人生最大と言ってもいいミスをしています。
私が横山三国志でこのシーンを目にした時、「孔明は天気がわかるはずなのに…」と、とても疑問に思ったことをよく覚えています。
もちろんこれはフィクションなのですが、このように「ここはこういう理由でフィクションなんだろう」と自分なりに考えながら読むと、
三国志がより面白くなります。
やっぱ、演技ではいろいろと常人離れしたありえないこととかがあります!
やっぱ! この人かっこいい! とか思ってしまうのがおもしろいですね!
特徴、ですね三国志にくわしい、っていう自分の一つのとりえになりますね!
おしえられったってか・・・・勇気付けられたです!!
演技ではあの魏延が悪者です・・・(反逆者あつかい)
長くてすいませんね・・・・・・・・
日本では蜀が好まれ、中国では魏が好まれる。
民族性の違いが出ていて面白いです。
正史である「三国志」を少しずつ知るようになってきたの
ですが、「三国演義」の内容が頭に入っていないと、何が
なんだか混乱しそうでした。
演義のような、仮の筋道がなければ、受容の程度も違った
のではないかと思います。
1・歴史記録と小説の違い、紀伝体で書かれた史実を、いかに上手く小説化させるかというテクニカルな手法です。日本人はあんまり上手くないので。
例えば、孫権の合肥の戦いのエピソードがあったとしても、日本人ならそこから「十万本の矢」のストーリーを創作出来ないでしょう。
2・現実にはありえない、軍師・孔明が戦いの先の先を読んで指示するところ。こういうのってさすがに、演義原書と吉川英治の小説ぐらいしか見かけないですね。痛快だけど、余りに嘘くさくって……www 面白いシーンなんですが。
3・長い中国史の一場面。それ以上でもそれ以下でもないです。
私が「三国志」を知ったのは、日本における中国史が、全く話題になっていなかった頃。もう30年くらいになります。
その間、色々研究しました。
いろんな研究書も読んだし、中華書局発行の正史も持っています。無論、正史の翻訳も。漢文も読めます。
演義も、いろいろな人の翻訳で何回も読んでいます。
そういうわけで、いい加減、もう飽きた……というのも、ちょっと本音。
もし、宋代史の本と三国志の本があったら、宋のほうに飛びつきますね。
いまどき「中国の歴史で、三国志が一番面白い」というような人がいたら、鼻で笑います。
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