なぜ、劉備が三國志の英雄になれたんですか?
中国では理想的な君主を「からっぽな器」と表現します。
劉備がこの「からっぽな器」に一番近かったので、人が集まった。
どれだけ負け続けても勢力を拡大し続けた理由はこの辺とも言わている。
逆に曹操みたいな部下の仕事を奪う様な万能型は評価が低い。
最近はビジネスがらみで再評価されているが。
『三国志演義』では、北=異民族=曹操 南=漢民族=劉備 の構図もあります。
三国志を書いた陳寿が、蜀の人だったから、かなり贔屓目で描かれています。
それを認める魏の懐の深さがうかがえます。
野心と運を持ち合わせていたから。劉備は当時の人物には「梟雄」と評されています。狡猾で野心的な人物ってことです。その行動を見ても確実に天下を狙う野心を持っていました。さらにいつ曹操や呂布に殺されてもおかしくないような半生だったのに、非常に運良く生き延びてる。まぁ家族まで捨てて逃げてるし逃げた先でも厚遇されたりと運だけじゃなく冷酷さと変な魅力があったのも大きいでしょうけど。
一平民から小国とはいえ皇帝にまで登りつめたんですから、やはり彼は英傑と呼んでいい人物だと思います。
配下武将がカリスマ揃いだったからでは?
呉や魏にもいますが、ショクの武将は、フィクションを感じる程 魅力的な武将が多い。
例に挙げると諸葛亮をはじめ、五虎大将軍の活躍など
英雄になれたかは別として
日本の三国志は
『三国志演義』という劉備など蜀を中心とした物語が広まっているため劉備が有名になっています。
中国はどちらかというと
強い魏が中心になっています。
国が違うためそれぞれに違いが出ます。
なぜと言われても日本だからとしか言えないかもしれません。
中国では曹操ですから。
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