2012年3月13日火曜日

三國志の時代に斬れる鉄は作れないと聞いたんですがどのように敵を仕留めていたん...

三國志の時代に斬れる鉄は作れないと聞いたんですがどのように敵を仕留めていたんですか?







戦いにおいては、敵方の兵力をいかに削ぐかが重要であり、

切る事にこだわる必要はありません。

いかにして、相手を殺すなり戦意を喪失するように傷つけるか、

一番簡単(?)なのは刺すことです。

当時唯一の飛び道具である「弓」や主力兵器である「槍」は、

どれも中遠距離から、刺すことで殺傷力が高い兵器です。



漢代になり諸刃の剣に変わって、

鉄製の刀が開発され戦争にも登場しますが、

日本刀のように反りを持ち、切ることに適した形状でなく、

直刀だったといわれています。



つまり、当時はまだ「切る」のではなく「刺す」ことが主であり、

鉄製で重くなった刀の重さで、

「叩く」、「殴りつける」ことの副産物として、「切れる」という、

意味合いが強かったのではないでしょうか。



騎馬ですれ違いざま刀や剣を振るうと、スピードの力が加わって、

血飛沫が舞うような、

質問者さんや私なんかもイメージしてしまう、

「切る」というシュチエーションが発生したり、

首や、腕など細い部分が切断されたりはするでしょうが、

それはあくまでタイミングであり、

通常は、なぎ倒して、刀や剣の体に当たる衝撃で致命傷を与えたり、

戟や鉾で、引っ掛けて倒し、

歩兵が群がり槍や剣で刺すという戦い方が、主であったと推測します。



関羽の青龍偃月刀(冷豔鋸:れいえんきょ)と呼ばれる大薙刀や、

張飛の一丈八尺の鋼矛の蛇矛(だぼう)などが、当時実在していれば、

その重さで、首や腕(若しくは当たり所がよければ胴体も)を、

切断することは出来たかもしれませんが、

残念ながら、両方とも(呂布の方天画戟も)明代に開発された兵器で、

三国時代の武器ではありません。



名刀と呼ばれる刀は、三国演義にも登場しますので、

馬で駆け巡りながら、当たるを八卦で刀を振り回して切りまくり、

槍を振り回して、敵を突き落としたりしたでしょうが、

首や腕が戦場を飛び交ったり、

ビジュアル的に見栄えがする(?)様な光景はなかったろうと思います。



ただ、三国時代は戦いに明け暮れる日々でしたので、

武器の品質などは稀に見る発展を遂げたとはいわれています。

「魏」は兵器の品質を大事にし、

曹操は五把宝刀を製造するため、三年の期間を費やしました。

それは「百辟刀」とも「百煉利器」とも呼ばれました。



曹植は『宝刀賦』という詩を詠んで、これを讃えました。

曹丕は楚や越の優秀な職人や技術者を招聘して、

鉄刀、鉄剣、鉄匕首を製作しました。

史書の記述によると、

これらの兵器の文様は霊亀に似ていて、形は龍鱗のようであり、

色は丹霞に比し、白さは厳霜であるかのようとされ、

高い品質を誇ったといわれます。



「蜀」の諸葛亮は漢の時代の旧式連弩に対して改良を加え、

一種の新式連弩を発明し、十の矢を同時に発射でき、

威力は旧式連弩の威力を飛躍的の向上させたといいます。



諸葛亮は、さらに刀を作る専門家・蒲元に

斜谷において鋼刀三千本を鋳造するように命令し、

刀の焼き入れについて詳細に研究し、

その鋭利な刀は、「神刀」と名づけられました。



「呉」の江南は、鉄鋼の産地として知られ、

孫権が武昌一帯において銅や鉄を採掘し、

長さ三尺九寸の方頭鋼刀一万本、宝剣十本を鋳造しましたが、

その強さは比べるものがないほど抜群だったといわれます。



ただしこれも、

鋭利だったとか、強かったという漠然とした表現に留まり、

質問者さんが疑問に感じられたような、

はたして実用的なものであったかの記載が無いのが残念です。



《追記》

漢晋さん、ご忠告ありがとうございます。

そのような方とは存じ上げませんでした。

まだ世に疎いです。



ohagitodaihukuさん、 越王勾践剣切れそうですね~。

呉王夫差が伍子胥に送った名剣「属鏤」もこのような剣なんでしょうね。

変な話、鈍ら剣では自害したくないでしょうが、

この剣を送られて、これで死ねたら・・・

もちろん本望ではないでしょうが、

死ぬための道具には何となく満足しそう。








三國志の時代よりはるか前の<越王勾践剣>です。

越王勾践BC496年 - 494年在位)の銘が彫られています。かなり鋭利な両刃の剣と見えるのですが、斬れる鉄は作れないとのソースはどこから得られたのでしょうか?

http://japanese.china.org.cn/archive2006/txt/2005-12/29/content_221...



<干将・莫耶>呉越春秋に出てくる、干将と莫耶が命を削って作りだした雌雄の剣。これは物語かもしれませんが、チェンウェンが描いた画像は、素晴らしいものでした。あこがれます。



戦術については、frogman様から詳しい回答がされていますので、遠方からは弓矢、槍、接近戦では切るより叩く、引き倒すというものだと理解しています。越王勾践剣も、刺す、切るという使い方なのでしょう。



ええっ、賜死の時の剣ですか?う~ん、想像力がついて行きませんでした。ギロチンとは人道的な刑具として発明されたという事を思い出してしまいました。即絶命させるからだそうですね。







以前にもほとんど同じ質問がありましたねぇ。

http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=1145910726

このwapyfj3000というユーザーは年末の段階でライフ0になってIDが利用停止になってますな。

wowkai303さんが登場したのは、確か年明けからでしたな。



無数の質問を垂れ流してBAも決めないし、利用停止になっても違うID作って同様の質問をただただひたすら垂れ流して。



どうせまた利用停止食らうだけなのに、何が楽しいのか全く理解できませんな。



※frogman03544さんがご存知なく回答に及ぶのは無理からぬ事です。何しろご復帰前の質問ですから。

その点、どうかお気になさらぬよう申し添えておきますね。



【追記】

ohagitodaihukuさん、私が書いたのは誠実に回答を寄せてくれる回答者を愚弄するこの質問者への非難であり、疑問に回答して教えてあげたいという善良な回答者に無駄足を踏ませたくない…という忠告であって、それを解った上で回答なさるのは各回答者さまの自由意思ですから、それまで止めようとするものではありませんよ(^_^;



私だってこの質問者の質問に回答したくて回答した例がいくつもございます(笑)。ていうかリンク貼ったIDのさらに前のIDでの同じ質問には大真面目に答えちゃいました(爆)。

ですからお気になさらないで下さいな(^.^)



それにしても越王勾践の剣、素晴らしく斬れそうですね(笑)。

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