三國志の、夏侯という姓を持つ人物を知る限り、名前と、その人物の紹介(他の人物と血縁関係にあればその紹介も)してくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。
夏侯惇(とん)・字は元譲(げんじょう)。漢の高祖劉邦に使えた夏侯嬰(えい)の
末裔とされ、曹操の父は夏侯惇の叔父で曹家に養子に出された。曹操とは従兄弟
同士で曹操からもっとも信頼された人物で晩年曹操が魏王となっても主従を越えた
付き合いを唯一許された。戦争中に片目を矢で負傷し、それ以降は族弟の夏侯淵
と区別するために「盲夏侯」と呼ばれた。曹操の死後、大将軍となったがほどなく病死。
夏侯淵(えん)・字は妙才(みょうさい)。夏侯惇の族弟(はとこ)、一説には夏侯惇の
異母弟とする説もある。奇襲を得意とし、当時としては機動力が抜群で「典軍校尉の
夏侯淵、三日で五百里、六日で千里」と讃えられた。その後も各地で転戦し、主に
異民族制圧に活躍し、曹操は異民族との謁見は必ず夏侯淵を同行させた。漢中平定
の後、征西将軍となり徐晃や張郃を従えて劉備との戦かったが定軍山で戦死した。
夏侯玄(げん)・字は太初(たいしょ)。夏侯淵の甥の夏侯尚の息子。若い頃から文才が
あり、諸葛亮(孔明)の族弟である諸葛誕や司馬懿の長男の司馬師とも親しかった。
後に魏の実権を握った司馬懿父子に反発するが、司馬師に一族を皆殺しにされた。
夏侯覇(は)字は仲権。三国志演義では夏侯淵の長男だが実際は字からもわかる通り
次男にあたる。父の戦死後、敵である蜀討伐に燃えていたが、司馬懿父子が実権を
握ると蜀に亡命した。夏侯覇の一族は夏侯淵の武功により処罰されず、楽浪郡
(遼東半島や北朝鮮)に流された。
夏侯称(しょう)字は叔権。非常に勇敢な性格で曹丕と主従を越えた兄弟のつきあいを
していたが、18歳で死亡。赤壁の戦いを含む呉討伐(207~8年)で死亡したといわれる。
夏侯威(い)字は季権。同じく演義では夏侯淵の次男だが実際は四男である。次兄と
違い、司馬懿父子が実権を握っても魏にとどまり、一族を守った。夏侯威の孫娘が
東晋の初代皇帝、司馬叡の実母である。
夏侯榮(えい)夏侯淵の五男。幼少時から曹丕の息子曹叡と仲がよかった。
父と共に13歳で戦死した。
1)夏侯惇
魏軍No1ともいえる宿将。曹操の血縁(たしか従兄弟)で曹操の挙兵(黄巾の乱)のころからの付き合い。
失敗もそれなりにあるが、それ以上に功績の多大なお方。
かなりの健啖家で一番有名なエピソードは自分の右眼に矢が刺さり、それを引き抜いた際に目玉も一緒に取れてしまったとき、「この血肉は父母より給いしもの。捨てるのはもったいない」と言い放ち、自分で目玉を食ってしまったこと。
夏侯一族のなかでも一番の武勇を誇り、関羽を相手にしても引けをとらない(というか、戦ったときに関羽はあまり乗り気ではなかった。それを差し引いても、関羽を相手取るのはたいしたもので、曹軍随一の武勇とほめたたえられていた。)
後半、あまり出番がなくなってしまったのは惜しい。
ゲーム真三国無双では魏No1のかっこよさと強さ。さすが惇兄
2)夏侯淵
惇にぃの弟。惇兄と同じく曹操の親戚で、生え抜きの一人。
兄の惇兄と同じく、武勇を誇るが、こちらはどちらかというと少し蛮勇。短期で駆け引きに劣るところがあり、そこを衝かれ、定軍山にて敗死。
弓の名手といわれています。
3)夏侯恩
夏侯一族のひとり。曹操に気に入られており、名剣・青紅の剣を賜っていた。が、しかしながら、能力は凡庸で、趙雲にやられて剣をあっさり奪われる。
4)夏侯徳
夏侯淵の従兄弟だったか。劉備の漢中攻略戦の際、黄忠・厳顔の老人コンビにやられ、敗死。
5)夏侯も(字がでてこない)
夏侯淵の息子。魏の珠玉といわれる貴族。の割には能力は雑魚以下。孔明の第1次北伐の際、勢い込んで相対するものの、歯牙にもかけられず惨敗の連続。そして、蛮族のもとへ逃げていく始末。末路は語られてません。
6)夏侯尚
夏侯淵の従兄弟。定軍山の戦いにて蜀軍の捕虜になる。捕虜交換の際に、後から弓で撃たれる、そんな役回りのヒト。
7)夏侯覇
たしか、夏侯淵の息子。孔明VS司馬慰の戦いのさなか参陣。弟3人も一緒だったが、やつらは影が薄い。
皇帝の一族として権勢を持つはずであったが、司馬一族との権力争いに負け、蜀へ亡命。
以後、蜀の無理すぎる北伐の同行者として魏と戦うも戦死。
ほかにもたくさん居ますが、よく出てくるのはこのくらいでしょうか
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