2012年3月11日日曜日

三國志の質問です 184年、劉備軍が幽州を黄巾党から救った後、青州を鄒セイと...

三國志の質問です





184年、劉備軍が幽州を黄巾党から救った後、青州を鄒セイと共に救いましたが、



青州を襲った黄巾党の将と、青州の太守は誰か教えてください




よろしくお願いします







184年の段階で「劉備軍」の呼称は如何?とか、

その集団が幽州や青州を救った?は置いておいて・・。



青州は、太平道の教祖「張角」の決起した冀州の隣です。

場所柄、最重要拠点と言っていい場所だったでしょうから、

広宗で、張角と張梁が死んでいることも考えると、

張角軍の直轄だったのではないでしょうか。



演義で言うと、

大将:程遠志/黄巾賊の大方。青州大興山にて、張飛に切られる。

副将:鄧茂/黄巾賊の副将。青州大興山にて、関羽に切られる。

と、どちらも架空の人物が率いていたように描かれています。



青洲の太守(恐らく刺史でしょうが)は、

どうやら【孔融(こうゆう)】のようですね。中途赴任のようではありますが・・。

正史では、後漢の最混乱期に北海国の相となり、

さらに青州刺史として黄巾賊で荒れる山東地域を支えた、とされています。

出身地も青州魯国の曲阜県ですし、有り得る話ですね。



ちなみに、演義では、

【龔景(きょうけい)】の名前が見えます。

『三国志演義』に登場する架空の人物。

黄巾の乱時の青州太守と書いてありますが、

おそらく刺史の誤りでしょう。

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