三国志についてお窺いします。
当方、歴史に疎く、また興味も無いのですが、有名な「三国志」とは、一言で言って何がテーマなのでしょうか?或は歴史的教訓を得るとすれば、何であると言い換えられるのでしょうか?例えば、群雄割拠した時代では、一国よりも三国で連携した方が強いとか(三本の矢みたいな)いわゆる、個人に置き換えた場合の「指南」的な観点で論じてもらえると有難いです。ではよろしくお願いします。
歴史に疎く興味もないとの事ですので、あるいは歴史書の『三國志』と小説の『三国志演義』の差異も御存知でないかと思います。
歴史書の『三國志』は3世紀末に陳寿という人物が著した、紀伝体という個人の伝記を中心とした形式の歴史書です。かの有名な『史記』を手本としたと言われております。
『史記』(司馬遷)、『三國志』(陳寿)ともに個人がライフワークとして執筆したもので、後代の史書ほどには政治的意味合いは深くないだろうと考えています。
執筆の動機や目的はいくつかあると思いますが、
・人々の業績を讃え、後世に伝えること
・古人の行動や価値観などを戒めとし、先賢に学ぼうとすること
・歴史事実をありのまま後世に伝えること
このあたりが目的となるのではないかと考えられます。これらの目的は後に史書編纂が国家的事業になるに従って政治的意味合いが強くなりますが、『三國志』の時代にはそれほどでもないと思われます。
一方、小説の『三国志演義』は元末明初、つまり西暦1500年頃の成立とされ、三國時代(220~280年)から約1200年ほど経過しています。この間の歴史的事情や民衆に伝わる説話などを集大成し、羅貫中という人物が著したと言われています。
(著者については諸説あります)
歴史書の『三國志』とは異なり、地方政権に過ぎない蜀(蜀漢)とそれを興した劉備らを主人公格とし、敵対する魏を興した曹操らを悪とする物語です。
民間説話が母体という事でこちらは勧善懲悪的な内容になりますが、善玉である蜀が最終的に敗れて滅びるあたり、悲劇の物語の性格も帯びています。
いずれにしろ、質問者さんの念頭にあるような「大きなテーマ」があるというよりは、個々のドラマや人の営み、当時の人々の生きざまや考え方などが共感を呼び、現在に至るまで永く読み継がれてきたものと言えるでしょう。
執筆する理由は様々ですが
「史記」は司馬遷がいわれ無き刑を受け。「春秋左氏伝」は左丘明が病で失明したからともいわれ。
ソレゾレに何らかの執筆に打ち込むだけの原動力となった経緯はあります。
ですから、「史記」などは、後世の規範となるような歴史の事実関係を明らかにしておくところの権力に対する批判的な精神がありますが、「三国志」はというと。少し薄れはしますが似たところもあります。
三国志の著者である陳寿は、若い頃より典籍に詳しく文章を書くのも上手かったとされ、蜀に仕官して史官の職に付きます。
そのとき朝廷で権力を振るっていた上司に当る宦官の黄皓に左遷され不遇を囲っていたこと。諸葛膽がこの君側の姦を除けず、後主を輔弼できなかった事柄などを書き留めたかったからとも推測されます。
蜀滅亡後は魏に仕官し、魏を正当とする三国志を執筆するのですが、そのなかでも旧主の蜀について魏に気を使いながらも蜀をそれとなく褒めているようにも見えますから、歴史書だからといっても公平なだけでもございません。
それに、三国志はもともとは陳寿が私選で選んだ内容を著作し、家に私家本として蔵していたものを、あとから同僚などが上奏して朝廷に収めたものですから、比較的には動乱の時代に活躍した英雄を生き生きと描いているといえます。
個人に置き換えるとどうなるかは難しいですが
それぞれの立場の人間が、それぞれの立場によって活躍もすれば逼塞もしますから。
立場が変われば人も変わるしで、その時々で同じ人が同じ判断を下すわけでもないことでしょうし、ドラマで言うところのソレゾレの「人間模様」を描いた作品なんですね。
三国志は伝えられた歴史を記述したものですから、元々はテーマ性は無いものと思います。
ただし、戦略や人情噺から、現代でも学べることは多く、サラリーマンのバイブル的な役割として語られたりします。
私的意見ですが、忠義、友情と言った所が強くえがかれていると思います。
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