三國志は低レベルな人間の争いなんですか?
だから決着着かなかったんですか?
歴史事象への因果を人物に求めすぎるのは英雄史観のようなもので、少し単純な見方であると思います。
後漢以降の分裂期は社会や経済の変化がもたらしたものと考える方が妥当であり、人物のレベルの問題に求められるものは大きくないと考えられます。
後漢以降の分裂は西晋の短い統一を挟みつつ隋の統一まで続きますが、この分裂期の大きな特徴は豪族・貴族層の台頭と王朝の経済基盤の弱体化です。
三国時代のような分裂期とその前後の時代を比較してもらえばわかりますが、会戦における動員兵力がとても少ないことがわかります。
また、王朝の戸籍人口も激減しています。
これが何を意味するのかというと、中央政府の経済力・軍事力が縮小し、地方の豪族層が経済力・軍事力を増大していることでしょう。
また、皇帝権の低下と国内の騒擾が活発化することも意味します。
こういった中央の力が衰えたことが分裂を長期化させた主な要因であると考えられます。
人物のレベルが高くとも、当時の社会情勢が統一に困難ならば仕方のないこともあります。
諸葛亮の北伐も5万前後の動員ですし、魏による蜀侵攻も20万前後の動員しかありません。
このように動員兵力が小さいですと、広大な中国を統一することは必然的に困難になってしまいます。(裏返せばその分だけ国家財政も弱かったということですし)
結局、北魏が導入した均田制のような革新的なシステム。
それによって少しずつ社会が変化し、それが隋唐のころに熟成されるまで人材の如何に関わらず統一は困難であったと考えられます。
まあ、私も三国時代が『三国志演義』のように綺羅星のごとく優秀な人材が続出した時代だとは思いませんが、あまり歴史の因果に人間個人が影響を与えることもないのだと思いますよ。
低レベルであろうが高レベルであろうがレベルが均衡していれば決着はつかない
400年ぐらい前に春秋戦国時代に流行った美人計に
何故かひっかかりまくる人の多い時代。
200年前は、高所に陣を構えるのは異民族か地方群雄など
学のない方々だけだったのに。有名な軍師の弟子がやらかして
くれる時代。
暇もてあまして贅肉増えたと嘆く人のいる時代。
戦争中に詩に時間をかけて寿命切れになる人もいる。
そんな他の時代から見ると、普通起きないイベントや奇人が多いので
眺める分には楽しいですよ。
名君のいる時代は三国志のような奇行はしないので、大衆受けしにくいんですよね。
低レベルと言いますが、逆のパターンだとすぐに決着がつきますか?
天才同士が敵対した時、あっさりと決着がつくものですか?
天才でも凡才でも実力が拮抗していれば決着はつきにくい。
0 件のコメント:
コメントを投稿