曹操が矢がたりない時、馬上にわら人形を置き敵に矢を撃たせ調達したこと
があると聞きました
でも さすがにわらと人は間違えないでしょうし
馬にも矢が刺さるでしょ
と思ったわけです
誰かこの矛盾? 疑問に答えられる方はいませんか
知恵袋などで時々見かける話ですが、出典が分かりません。『三国志演義』ですら見た事ないので、おそらく後世の三国志系作品の架空のエピソードかと思います。
元ネタになったと思われるのは『三国志演義』の赤壁の戦いでの、諸葛亮が周瑜に「7日で10万本の矢を用意して欲しい」と言われ、霧の中を藁束&藁人形を満載した船で曹操の陣に近づいて、10万本以上の矢を射かけさせた…というエピソードでしょうか。
ただし、実はこれすらも『三国志演義』の架空のエピソード。元ネタとなったのは、陳寿の正史『三國志』呉書呉主伝に引く裴松之の『魏略』からの注釈です。
それによると、建安18(212)年正月、曹操が濡須を攻めた時の事。孫権が船で敵情偵察に出てきたため、曹操は弓・弩をめったやたらに射かけさせた。矢が船に突き刺さり、その重みで船が傾いて転覆しそうになったため、孫権は船を反転させて矢の刺さっていない舷側で新たに矢を受け、ちょうど重さが均等になり安定したところで引き上げた、とあります。
まあ正直な話、この『魏略』のエピソードはドラマチックに過ぎて事実ではないと思われます。
陳寿の本文では、曹操が濡須を攻め、孫権が防いで1ヶ月あまりも対峙し、曹操は孫権の軍に少しの乱れもないのに感嘆して軍を引いた…とあるのみです。
裴松之は『魏略』の前に『呉歴』を注に引いていますが、これによると緒戦で孫権が三千人余りも捕虜にする勝利をおさめ、以後曹操は挑発されても応戦しなかったため、孫権は自ら軽舟に乗って威力偵察を行います。
曹操軍の将兵はこれを挑発と考え攻撃しようとしますが、曹操は「みだりに弓・弩を発射してはならぬ」と制止し、孫権の舟の隊列が全く乱れないのに感嘆して「息子を持つなら孫仲謀のようなのが欲しい」という、有名なセリフを口にしています。
『魏略』と『呉歴』で内容が正反対なのが面白いところですね。
もしかして曹操ではなく諸葛孔明の間違いでは?馬じゃなく船上ですが…。まあ、これとて創作ですがね。
それはウソですね。
そんな作戦を取った人が
諸葛亮の船上の藁人形に矢を打たせるような策に引っ掛かる訳ないじゃないじゃないですか。
諸葛亮が船上の藁人形に曹操軍から矢を打たせて調達した、という話なら聞いたことありますが……。
この時は濃霧で人影にしか見えなかった事と、船底に水夫がいて操船したので無事だった、という内容だったと思います。
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