あなたが三国志で感動した場面を教えてください。
あなたが三国志で一番感動、泣けるという場面をおしえてください。史実、演義、小説、漫画問いません。(三國無双シリーズは除く。)
「一番」ですか!難しいですねぇ…(どこでも感動しちゃうので)
うーーーーーん…廖化は…このカテで何度か語ったので…今回は「張悌」で。
王渾との戦に敗北して呉軍が壊滅した時の諸葛靚と張悌のやりとりは涙ものです(TT)
hidakaさん(^^;)すみません。めちゃくちゃ短文で(汗)。なんか申し訳ないので…(汗)
ちょっと違った話を書きますね(汗)。
『捜神記』より
呉の臨海郡松陽県の人・柳栄は丞相張悌に随って揚州まで来て、船中で病死した。兵士達は上陸していて、二日間、埋葬する者がいなかった。
すると突然、遺体が「誰かが軍師(張悌は軍師も兼任)を縛ったぞ!縛ったぞ!」と大声で叫んだかと思うと生き返った。人々が事情を問うと、柳栄はこう答えた。
「私が上天の北斗門に至ると、人が張軍師を縛り上げているのが見えました。心中、大いに驚いて思わず『どうして軍師を縛るか』と叫ぶと、門の所にいた人から怒られ、追い払われてしまいました。栄(私)は恐ろしくなって口を閉ざしましたが、その時の叫び声が外に聞こえたのでしょうか」
その日はちょうど張悌が戦死した日だった。
その後、柳栄は晋の元帝の時代(在位317~322)まで生きていたそうです。
悲しいような…ちょっと笑える逸話です(怒られて恐ろしくなった…って(^^;))。
あーーーー(TT)素直に廖化を語れば良かったですね(汗)すみません。
いえ。短文ですので(TT)不快ではなく、申し訳なく思った所存です(歴史にも)。
ですが「張悌」の話は感動してしまうので…かぶりやすいでしょうね(TT)
貂飼いさん…華歆好きですね。感動出来ない…。魁・男塾とか銀牙とかもですか?
(おいおい普通はフランダースでしょ)←号泣
蒼天航路で、陳宮が呂布の気まぐれな命令に振り回されながらも「ああ、俺は本当にこの将軍に魅入られているのだな」と思い、「ならば、何も悩むことなどない!」とつぶやくシーン。
ひねくれ者なので滅多な事では感動しないのですが…ひとつだけ胸をうたれる話があります。
華キンが複数の知人と逃走中にある人と出会いました。その人は同行を願います。知人たちは賛成したのですが、華キンは反対しました。結局一緒にいくことになりましたが、その人は途中で井戸に落ちてしまいました。知人たちはこれを見棄てようとしました。華キンは「このような事があるから反対したのだ。しかし一度共に行くと決めたのだ。助けない訳にはいかない」かくしてその人を助けました。
自分の行動には責任を持たなければいけない、ましてや他人を巻き込むときにはよくよく考えて行動しなければならないのですね。
一番感動にはおかしなエピソードと思わないで下さいね。私の心の深いところがなったもので…
張悌の話は良い話なのですが、亡国の臣にありがちなベタな話なので苦手です。
キャスバルさん、じゃなくてモコさん
華歆より邴原の方が好きです。
ということで思い出したエピソード。
邴原の家は貧乏でしかし向上心が旺盛だったので学問をしたかった。しかし学資がない。
ある先生が、「学びたいという気持ちさえあればよいのだ。」かくて入学を許可した。
こっちの方がわかりやすいかな・・・
呉の最後の丞相・張悌の最期でしょうか。ただ「捕虜になった」とする記述もあるんで真相のほどは分かりかねますが…
孫晧伝註襄陽紀より。
『晋が呉に攻め込んで来たとき張悌は諸葛靚・孫震・沈瑩らを率いて晋軍と対峙した。牛渚まで進んだとき沈瑩が言った。
「晋軍は総力を挙げて攻め込んで来るでしょう。対して我が軍は名将と呼べる人物は世を去り、年端もゆかぬ者が軍を率いている有様。長江沿いの守りで敵を止められる者はおりますまい。この地で兵を蓄え、来襲した敵と一戦交えて打ち破ればまだ望みはあります。今長江を渡って敗れるようなことがあれば、国家の危機は決定的なものになります。」
これに対し張悌は
「呉が危機的状況であることは別に今に始まったことではなく誰もが分かりきっていることだ。今こそ死力を尽くして戦うべきだ。もし突撃して敗れても、それは国家ともに死ぬんであって何ら恥じることはない。それにもしここで敵を待ち受けていても兵達は恐れをなして逃げ出すであろう。そうなれば為す術なく降伏するしかない。国家の危機に誰一人戦う人間がいないことはこの上ない恥だ。」
と言って、長江を渡り晋軍を攻撃したが結局敗れた。諸葛靚は張悌の手を引っ張り退却させようとするが、張悌は
「仲思(諸葛靚)殿、私は今日ここで死ぬべきなのだ。私は貴方の祖先の諸葛亮殿に推挙された。その賢者の知恵に背く事がどうしてできるか。国家のために殉じるのだ。そんな風に私を引っ張らないでくれ。」
と言う。諸葛靚は涙を流して手を離した。そして百歩ばかり行った時に張悌が晋の軍に殺されるのが目に入ったと言う。
物語になりそうな見事な散り様です。これを読んだ時は腐敗と暴政を極めた孫晧にもこういう国に殉ずる忠臣がいたんだなぁと感慨深いものがありました。
ちなみにこの時の宮廷内部では岑昏という宦官を殺すよう側近数百名が孫晧に叩頭して頼み込んでたとか。悪名高い宦官とはいえ、晋軍がすぐそこまで来てるのに臣下が必死になってたかが宦官1人を殺そうとしてるとは…張悌のような忠臣が命を張ってるのに何とも情けない話です。
ちょっ…必死に長文書いたのにかぶるとか…泣ける…
何か悔しいんでもう1個。
魏の4代皇帝曹髦の最期。司馬昭の専横に怒り、クーデターを起こす。が、味方したのはわずか数百人。あまつさえ密告者が出る始末。それでも果敢に戦うが、賈充の部下に背中まで貫かれて殺される(このときの賈充の冷酷さもまだ酷い)。曹髦は名君の資質を垣間見せていましたが、あまりに現実が見えてなかったんでしょうね。幼くして臣下に推されて皇帝になったにも関らず、その臣下にわずか数年で殺されるとは何ともいたたまれません。ちなみにその後司馬昭は曹髦の母親に「息子を殺してくれてありがとう」という手紙を書かせています。…これ感動か?惨いだけのような気がしてきた。
あ、いや、別に謝らなくても。むしろかぶったのは私のほうですし(汗)かぶっちゃうと決まり悪いんでちょっと愚痴っちゃっただけです。不快な思いをさせてしまったようで申し訳ないですorz
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