『三國志演義』に出てくる、八門金鎖の陣の破り方を教えてください。単福こと徐元直がみつかりませんので。
次日、鳴鼓進軍、布成一個陣勢、使人問玄德曰、『識吾陣否?』單福
便上高處觀看畢、謂玄德曰、『此「八門金鎖陣」也。八門者、休・生・
傷・杜・景・死・驚・開。如從生門・景門・開門而入則吉、從傷門・驚
門・休門而入則傷、從杜門・死門而入則亡。今八門雖布得整齊、只是中
間通缺主持。如從東南角上生門擊入、往正西景門而出、其陣必亂。』玄
德傳令、敎軍士把住陣角、命趙雲引五百軍從東南而入、逕往西出。雲得
令、挺鎗躍馬、引兵逕投東南角上、吶喊殺入中軍。曹仁便投北走、雲不
追趕、却突出西門、又從西殺轉東南角上來。曹仁軍大亂。玄德麾軍衝擊、
曹兵大敗而退。單福命休追趕、收軍自回。
次の日進軍してくる軍の布陣をみてゲントクは軍師のタンフクにきいた
「あの陣形をしっているか?」「八門キンサの陣ですね休・生・傷・杜・景・死・驚・開門の8つからなります。(八角形で反時計回りに休・生・・)生・景・開門からなら突撃してよろしいですが、他の門から進入すると大怪我をします。また死・杜からだと全滅します。なので東南の生門から侵入してまっすぐ反対側の西の景門にむかって突撃すれば相手は混乱して陣が崩れるでしょう。
ゲントクはチョウウンに命じて東南から500騎で突入させ、まっすぐ北西に駆け抜けさせた。その後カンウが合図と共に東南から中央に突撃、ソウジン軍はちりぢりに北へにげていった。しかしカンウは追撃せず、まっすぐ北西に駆け抜けた。ゲントク軍のわずかな兵に大軍のソウジン軍は大敗、タンフクは追撃をやめさせゲントク軍は撤退していった。
わかりやすいように訳してみました。翻訳本を読んだときのうろおぼえなので若干正確な訳ではないかもしれませんが、大体はあっているはず。とにかく時計の東南の位置から突撃して北西の位置に抜けるように突撃を繰り返せば崩れるようです。
ただ弱っているからといって追撃すると手痛いしっぺ返しをくらうとのこと。カンウに命を与えた徐元直が小説版ではそのように伝えているせりふがあります。
なぜ4時かというと相手がこっちを向いているので12時と6時の位置が逆になっているからです。そう考えていただければ得心がいくはずです。図に描いて反対側にしてみればああ、なるほどとなるはず。本当に崩れるかは知りませんが(笑
原文は以下(該当部分)
訳は自信ないので他の人に(詳細忘れてしまったので、BAは訳をされた方に)
第三十六回
玄德用計襲樊城 元直走馬薦諸葛
次日、鳴鼓進軍、布成一個陣勢、使人問玄德曰、『識吾陣否?』單福
便上高處觀看畢、謂玄德曰、『此「八門金鎖陣」也。八門者、休・生・
傷・杜・景・死・驚・開。如從生門・景門・開門而入則吉、從傷門・驚
門・休門而入則傷、從杜門・死門而入則亡。今八門雖布得整齊、只是中
間通缺主持。如從東南角上生門擊入、往正西景門而出、其陣必亂。』玄
德傳令、敎軍士把住陣角、命趙雲引五百軍從東南而入、逕往西出。雲得
令、挺鎗躍馬、引兵逕投東南角上、吶喊殺入中軍。曹仁便投北走、雲不
追趕、却突出西門、又從西殺轉東南角上來。曹仁軍大亂。玄德麾軍衝擊、
曹兵大敗而退。單福命休追趕、收軍自回。
http://rtk.web.infoseek.co.jp/episodes/036.html
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