2012年3月13日火曜日

貂蝉について。大至急

貂蝉について。大至急

三国志演義の中に出てくる貂蝉は架空の人物だったんですよね?

モデルになった女性がいらっしゃるとのことでそれが出てくる文献はありますでしょうか。



どういう文献の何ページあたりに出るか教えていただきたいです。







大至急とおっしゃる割になかなかBAをお決めにならないのは、もしかして「どういう文献の何ページあたりに出るか」という部分をお待ちなのでしょうか?



出典はfrogman03544さんがおっしゃるように正史『三國志』(陳寿・撰)の魏書・呂布臧洪伝第七にある呂布伝です。

原書の何ページかは分かりませんが、完訳本である『正史 三国志』(ちくま学芸文庫/小南一郎・井波律子・今鷹真ほか訳)ですと、第二巻(魏書Ⅱ)の10ページです。



内容はfrogman03544さんが詳述されておられますので割愛致します。ご了承下さい。








正史三国志魏書の内、

【呂布臧洪伝第七】の呂布伝に、



かつて呂布は董卓の機嫌を少しばかり損ね、董卓に手戟を抜いて投げつけ

られた。呂布は手で素早く払って免れ、振り返って顔つきを改めて謝った

ので、董卓の心は和らいだが、呂布はこの事によって密かに董卓を恨んだ。



『董卓はまた呂布に中閤(奥御殿)を守らせたが、呂布は董卓の傅婢(侍女)

と私通した。呂布は(董卓に露見しないかと)益々不安を抱いた。』



そこで、司徒の王允を訪ね、自ら董卓に殺されるかも知れない状態にある

事を語った。~



という記述が始めの方に出てきます。(上記『』部分)

この董卓の傅婢(侍女)が貂蝉のモデルとされます。



その後「王允」の名前が出ますので、

この記載を持って、

演義では王允の養女→美女連環の計と脚色されていきます。

0 件のコメント:

コメントを投稿